図書室の海

本好きの感想ブログ

方舟 夕木春央 - 方舟に乗るのは正しき人か

友人に勧められて、夕木春央(ユウキ ハルオ)さんの『方舟』を読む。感想や思ったことを書いていく過程で話の結末に触れているので、細かいネタバレにはなっていないけれど未読の方はご注意を。
※2024年2月現在、この作品は版元ドットコムへ版権フリーの画像を提供していないので、ASPの商品画像を載せています。


『方舟』講談社 2022年9月

9人のうち、死んでもいいのは、ーー死ぬべきなのは誰か?
大学時代の友達と従兄と一緒に山奥の地下建築を訪れた柊一は、偶然出会った三人家族とともに地下建築の中で夜を越すことになった。
翌日の明け方、地震が発生し、扉が岩でふさがれた。さらに地盤に異変が起き、水が流入しはじめた。いずれ地下建築は水没する。
そんな矢先に殺人が起こった。
だれか一人を犠牲にすれば脱出できる。生贄には、その犯人がなるべきだ。ーー犯人以外の全員が、そう思った。
タイムリミットまでおよそ1週間。それまでに、僕らは殺人犯を見つけなければならない。

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方舟は選ばれた命を運ぶ

テーマは命の選択。途中までは王道ミステリーで、語り部たる主人公とその友人(今回は従兄弟)が探偵役になる。
事件が起こって閉じ込められて連続殺人が起こる。少しずつ証拠集めとミスリード。探偵役が引っ張っていき、最後に犯人特定。
でも最後の最後でひっくり返る。自分たちが助かるために捨てた命によって、自分たちの運命が決まる。皮肉だねぇ…

タイトルの「方舟」。閉じ込められる施設にも”方舟”と名前が付いているが、選ばれた種を乗せた「ノアの方舟(旧約聖書)」に見立てている。ノアの方舟のように、選ばれた者=正しい者のみが生き延びる。と思いきや、一人だけ神の視点に立ち、舟に乗った者の生殺与奪を握る。最後に裁断が下され舟は沈む。「方舟」が辿り着くのは新天地ではなく絶望である。水没したのは箱船の外ではなく内側。犯人の命の選択は、全てを犠牲にしても自分が生き残るというもの。

命を選択するにあたり、基準とするものは何か。関わり合いの多い人間の数か。家族や恋人との絆か。守るべき弱者がいるから救出を優先するのか。罪を犯していたら犠牲にしてもいいのか。この辺は常に答えが出ない。世界を見渡せば、命の重みは皆等しいと言いつつ、実際は平等じゃない。「目には目を歯には歯を」という言葉があるが、与えたものと同等のものを与えるべき、犯した罪と同等の罰を、としても必ず同等になるとは限らない。簡単には割り切れず、世の中は不条理に満ちている。

私たちの身近なところに目を向ければ、命の選択や犠牲までいかないまでも、ファミリー向けの幸せそうなコマーシャルが、身寄りがなかったり孤独な人を傷つけているかもしれない。友達が沢山いて当たり前みたいな遊びが友達のいない子供を悲しませているかもしれない。
企業も個人も、様々な価値観や立場の人がいるということを考えて発信しないと、いつの間にか加害者側にまわり炎上する。

映画化するとしたら…

映画になりそうな非常に映像的な作品だった。最後のシーンなんかは、画面がバンっと暗転してエンドロールが流れ始めるのが目に浮かぶ。
でも、映画だったら人によっては「金返せ!」ってなるね、これ。だって、そのまま見たら救いがないもの。結論から言うと、最初から皆が助かるすべはなくて、誰がどうやって生き残るかのサバイバル。

もしエピローグを追加するなら、と想像してみる。
うまく一人で抜け出たとて、どうやって説明する? どう生きていく? 死人にクチナシで奇跡的に助かった人物として演じきるか。(視聴者に嫌われそう)
最後はある意味復讐的でもあるので、非道さを緩和するために犯人を同情的に描くか。(人物造形が変わっちゃう)
万人受けにするとしたら、最後に警察かなんかの第三者視点を入れて、災害救助と行方不明者の捜索の過程で現場が発見され「一体、何が起こっていたんだ…」っていうエピソードを挿入する感じ。そして「水没した地下最深部で一人が発見されました、脱出しようとしてできなかったようです」ってオチ。(一番無難)

描かれてはいないけど、個人的には全員死亡エンドなんじゃないかなって思う。最後に一人勝ちした人物もとうてい抜け出せたとは思えない。外で土砂崩れがおきるほどの地震。水没した地下の状況もわからず、ボンベの残量もないのにね。
作中の最初の方、どんな死に方が嫌かという会話の中で、犯人は「溺死。溺れるのが嫌」と言っていなかったか。方舟は「善き人」しか救ってくれないのだ。

小説では読者の想像の余地を残した終わり方で、素人の私でも映画で観るとなったらこんな風に考えてしまう。映画は多くの普段ライトなものしか観ないような人を取り込まないと、ヒット作となはならい。そうなると、尖った部分はマイルドにせざるを得なくなったりするのはわかる。(わかりやすい感動作風になったりする。「全◯が泣いた」的な)

今大きな問題になっている、原作と映像化の問題。映像作品は一人で作り上げるものではなく、監督や脚本家はじめ、俳優、美術、音楽・音響、衣装、撮影・映像処理、プロモーションと様々な人たちが協力して出来上がる。
どんな仕事であれ、すべての人が全部納得してるなんてことはまずない。大なり小なりそれぞれ違った考えがある。けれど、それを同じ方向に進むために解決する努力は必要だし、方法がないわけじゃないと思いたい。より良い方向へ進んで欲しいと願わずにはいられない。

〜今日のひとこと。
「読む前に読書履歴をリセットしたい(新鮮味)」

tamamushi-library.hatenablog.jp